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2006年2月26日 (日)

[ニュースの話題]: 言論の自由と真実の追究

風邪で苦しんでいる間、あまり目を通せなかったここ 1週間くらいの間のニュースの見出しをざっと眺めている。そんな中、 「 ホロコースト否定の英歴史家に禁固刑 オーストリア 」 という記事が目にとまりました。 (リンクは産経新聞の記事へのものですが、各社で報じられています。単に産経は記事がなかなか消滅しないのでリンクに便利なだけです。)

ホロコーストというのは、確かに忌まわしき歴史だと思う。その歴史にしっかりと向き合い、同じ過ちを繰り返さない、というのは重要なことだろう。そうした決意を守るためにも、ドイツやオーストリアで、ホロコーストの歴史を否定することなどを法律で禁じているというのは理解できないわけではない。しかし、これはあくまでもホロコーストが、誰の目から見ても明らかに存在したという客観的事実によって論証されていることが前提になるだろう。論証されていない事実を否定するなと言われれば、多くの学問は成り立たなくなるのではないだろうか。

ついこの間、知人が Mixiで書いている日記で、「アウシュウィッツ「ガス室」の真実—本当の悲劇は何だったのか? 」という本を紹介していた。僕はまだ読んでいないのだが、その知人が書いている内容を読むと、確かにホロコーストに関して、全ての真実が我々には伝わっていないのではないかと感じさせられる。真実を知ることは、これから我々が同じ過ちを繰り返さないためにも必要なことだろう。真実を追究する課程で、今事実として伝えられていることに疑問を持ち、それを多くの人々と客観的な視点から論じていくことは不可欠だろう。しかし、このように意見を述べただけで有罪になってしまうとすると、真実の追究すらできなくなってしまうのではないだろうか。

一方、産経の記事の中でも触れられているが、今イスラム社会では予言者ムハンマドの風刺画が大きな問題となっている。このことについて書かれた分析が、 All Aboutに掲載されていた。
「ムハンマドの風刺画」怒る人々、掲載する人々

この解説が正しいとすると、ヨーロッパの人々の感覚からすると、言論の自由というのは大変に重要で、イスラム教徒の価値観などがどうあれ、彼らの神経を逆なでしても守るべきものなのだという風に考えているような印象を受ける。それならそれでいいだろう。そういう価値観もあっていい。でも、そうだとすると、ホロコーストの真実の追究に関する言論に自由がないのは、きわめてアンバランスで不自然な印象を受けてしまう。もちろん、今回の風刺画が最初に出てきたのはデンマークで、このホロコーストの件はオーストリアであるから、国が違うわけだが、西欧社会を一括りで見ると、そんな印象を受けるのだ。言論の自由を声高に叫ぶのであれば、真実の追究のための言論だって守って欲しいものである。

僕には何が真実かは分からない。真実が明らかになった方が、長い目で見た場合、無駄な争いを避け、世界がよい方向に進むことにつながるのではないかと感じる。でもその一方で、真実がどうであれ、常に客観的な眼で事実を見続け、正しくない物をかたくなに拒み続けるような生き方をすれば良いだけとも考える。どちらにしても、真実として得た知識が真実なのかどうかなんて、自分一人では証明できないのだから、何が明らかになっていて何が明らかになっていないのかにかかわらず、そんな姿勢を忘れずにいたいものである。

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