ちょっと前の話題なのでみなさんもご存じだと思うが、冥王星が惑星ではなくて矮惑星になった。とは言うものの、冥王星がなくなるわけでもなし、ちょっと騒ぎすぎではないかという感がないでもない。しかし、「ふーん」と言って聞き流してしまいそうなこのニュース、いろいろと考えさせてくれた。
まず、これまで「太陽系惑星」の明確な科学的定義が存在しなかったというのには、正直なところ驚いた。これを科学的に正しく定義しようというのは、学問上のみならず、いろいろな面での混乱を避けるためにも必要なことだっただろう。何かを定義する時、現状をふまえて定義を作り上げていくものだと思う。今回の惑星の場合ならば、現在惑星として認識されている星の特徴を洗い出し、それに基づいて定義するということになる。しかし、それをやろうとすると、冥王星だけが他と異なっているので、それならば冥王星と同様の特徴を持っている星も惑星と見なし、それに併せて広い定義をしようという考え方と、冥王星は惑星とは見なさず、残りの惑星の特徴に基づいて太陽系惑星の定義をしようという考え方が議論され、後者が多数の科学者の賛成を得た。今回の話をきわめておおざっぱにまとめるとこんなところだろう。正確なところは分からないのだが、僕があれこれと読んだことから考えると、冥王星が発見された当時の観測技術から分かった事実だけに基づいて考えれば、冥王星も今回定義された太陽系惑星の仲間に残れたのではないかと思う。しかし、観測技術などの進歩で分かったことに基づいて考えれば、冥王星はこれまでの暗黙の定義にも合致するかどうかあやしくなってしまい、そして今回定められた条件には明らかに合致しなかったわけだ。
今回の「太陽系惑星を定義する」作業では、より多くの人が容易に理解することができ、普遍性があると思われる定義を導き出したと考えることができるだろう。その一方で、普遍だと考えがちな星に関する事実は必ずしも普遍ではないという事実を受け入れる判断だったとも言えるだろう。僕はこの点を大変興味深く感じた。普遍だと考えられがちな事実に基づいて構築された概念やシステムも、その前提条件が普遍でない場合には、概念やシステムも普遍とはなり得ないという事実を、この一件を通してはっきりと認識することができた。そしてこれは、遠く離れた冥王星に限ったことではなく、身近なあらゆることに適用できるのではないかとも感じられるのだ。
そんなことを考えていた折、知人のブログで、「八ッ場(やんば)ダム」の計画というものを知った。首都圏最後の巨大ダム計画と言われ、長期ダム事業の代名詞となっているものだという。 1960年代に計画され、未だに完成していないそうだ。しかし、計画当初には大きな問題だった首都圏の水不足も、今はそれほど逼迫した状況ではなく、このダムの必要性はその頃と比較すると高くないという。このダムの必要性について、僕は判断するのに十分なことを知らないからあれこれ言うつもりはない。しかし、当時の事実に基づいて建てられた計画が、その事実が消滅した後もそのままであるということには違和感を覚える。特に太陽系惑星ではなくなった冥王星の話を耳にした後ではなおさらである。科学者だけでなく、我々も状況の変化を受け入れ、論理的に思考することが重要であると感じさせられる話だ。
ところで、先日たまたまついていたテレビでやっていたサンデーモーニングで、この冥王星の件について取り上げていた時、スタジオのコメンテーターの一人が、「私たちの生活に関係ないこんな話でなぜこんなに騒ぐのか」というようなことを言っておられた。ヘッドラインだけを眺めていたりすれば、そう感じるのも自然なことだろう。しかし、そんなことを言い出してしまえば、ニュースのほとんどは我々の生活には直接関係ないものになってしまうだろう。そして、僕自身は、上述のように、いろいろと考えるきっかけを与えてくれるニュースで、決して我々の生活に無関係な話だとは言えないと思うのだ。マスメディアというのは、単に情報を伝えるだけでなく、人々に多様な視点を提供する役割があると思う。特に、キャスターでもなくレポーターでもないコメンテーターたちは、そういった役割が大きいのではないだろうか。そんなコメンテーターの一人が、このニュースについてそういった発言をしたことに、僕は大変残念な気持ちになった。
その一方で、産経のニュースサイト iza!上の関連記事 にトラックバックを寄せていたブログの一つでは、今回のことを題材にすることで、教育現場では子供たちに教えることのできることがいろいろとある、ということが述べられている。僕が上に書いたこととも通ずる部分もあり、また僕は少なからず共感した。この頃はよくあることだが、インターネット上の個人の意見の方が、既存メディアで述べられる意見よりも思慮に富み、そして (情報の受け手にもよるだろうが) 有益だということもある。そんなことを改めて認識させられた。


お邪魔いたします。トラックバックありがとうございました。
私の今回の記述は、以前読んだ「99・9%は仮説-思いこみで判断しないための考え方」という新書の影響が多分にありますが、マスメディアのステレオタイプな報道に腹を立てて反射的に書いた文章なので、お恥ずかしい限りです。
発信する情報には、客観的事実と感情に訴える要素とがあると思います。今のマスメディアは後者によりすぎていて、冥王星の件も画一的に「降格」、「残念」、しまいには「追悼『冥王星』」とか言い出す始末。
サンデーモーニングは見ませんでしたが、コメンテーターの方は、マスメディアの姿勢との対立軸を出すために、前者によりすぎてしまったのでしょうか?
情報発信の際にはバランス感覚が大事だなと再認識しました。
長文コメント失礼いたしました。またお邪魔させていただきます。
> Frostさん
コメントありがとうございます。
確かに、サンデーモーニングのコメントの件は、ご指摘のように、マスメディアの姿勢に対する批判という側面があったのかもしれませんね。テレビやラジオの場合、時間的制約のために、そういった発言者の真意が伝わらないことが多々ある、ということは以前からよく言われていることですが、私の場合、ブログなどのように発言に当たっての明示的な制約がない (少ない) メディアで人々の意見を見たり、自分が意見を表明することに慣れすぎてしまって、テレビやラジオのそういう側面を忘れてしまっているようなこともありそうです。その意味では、私の今回のサンデーモーニング中のコメントへの感想は、少々バランス感覚を欠いていたかもしれませんね。私自身もなるべくバランスを欠いたことをブログには書かないように努力してはいるのですが…。
また、興味深そうな本のご紹介、ありがとうございます。ぜひ機会を見つけて読んでみようと思います。
また時々 Frostさんのブログにもおじゃまさせていただきます。