2006年9月アーカイブ

iza!に掲載されていた先日の産経スポーツのコラムが、有名人が重要な事を記者会見ではなくホームページ (HP) で発表する最近の風潮に対して疑問を呈している。「HPではいくら名文を並べ立てたところで、誠意は伝わってこない。」と結んでいるこのコラムの主張に、僕は疑問を感じる。

しばらく前のことだが、帰宅して留守番電話をチェックすると、珍しく伝言が入っていた。いつも使っている生協の宅配の担当者からのものだったのだが、その内容を聞いて首を傾げてしまった。いわく
「いつもご利用いただきありがとうございます。
この度、夏の連続利用キャンペーンで A賞が当たりましたが、ご希望の賞品をお知らせいただくはがきが届いておりませんので、今月の下旬までに、勝手ながら
かつらセット
をお送りします。」

新学期に入り、僕はほぼ 1日中、二つの教室のうちのどちらかの授業を手伝っていた。僕が主に時間を過ごしていたのは、高校生を対象とした授業をする先生の教室だった。中学生に比べて高校生の方が各自で異なった内容の課題に取り組んでいたため、より多様な生徒に対応する必要があったので、僕が役立てる機会も多かったのである。

[衝動買い]: 色を聞く

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僕のように目が見えていた時の記憶がない視覚障害者は、普通色という概念を理解していない。たとえば、「白いシャツ」と言われても、そのシャツと「白」という単語を結びつけて覚えるだけである。そして、「白い雪」という単語を聞いた時に、「白いシャツ」のことを思いだし、「ああ、雪と同じ色なのか」と思う、せいぜいそんなところで、その「白」という単語は僕の中では全く意味のない修飾語となってしまう。おそらく、触覚を持ったことのない人に、「ざらざら」とか「つるつる」とかいう感じを伝える場合も、僕に色を伝えるのと同じような状況になるのではないだろうか。

7月の終わりにサマースクールが終わると、学校はまた静かになった。しかし、たまたま僕はこの一番人が少ない時期に、視覚障害児教育関連の学会と展示会を合わせたようなものに参加するために、ピッツバーグまで出かけていたので、夏休みに入った直後に感じた、あの何とも言えない寂しさを味わうことはなかった。そして、僕がピッツバーグから戻ってきた頃から、学校にはまた徐々に活気が戻り始めた。 8月の中頃に始まる新学期の準備などのために、先生たちが顔を出すようになっていたのだ。

サマースクールが終わってからの数日は、何となく寂しいような物足りないような気持ちで過ごした。知らないうちに、僕は子供たちと過ごす時間を思いの外楽しむようになっていたようだ。行くべき授業もなく、取り立ててやるべきこともない、久々に訪れたそんな贅沢な時間を、どう過ごしていいのか分からずに、数日が過ぎた。しかし、だんだんそんな生活にも慣れてきて、 1週間もするとすっかりその余裕に満ちた生活を楽しむようになっていた。

友人のブログで、僕の物欲を刺激する物を知ってしまった。フラビアという、 1台でコーヒーも紅茶も緑茶もココアも入れられるという物らしい。

夏休みに入ると、あるゆる物小言がゆったりとしたペースで流れ始めたような気がした。当時僕は、学校の敷地の一角にあるゲストハウスのような建物を借りて暮らしていたのだが、夏休みに入って生徒たちはみんな帰省し、先生たちも、その多くが夏休みの間は学校に来ないので、学校の中を歩いても、ほとんど人に会わなくなった。平日に学校へ行かなくて良いというのは、なんだか退屈なものだった。今まで取り組んできたものが急になくなってしまい、目的を失ってしまったような気の抜けたような感覚があった。学校の中の寂しさが、その感覚を増幅しているようでもあった。そんな夏休みに入って数日たったある日、普段一緒に仕事をしている先生から電話があった。

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