色を聞く

投稿: 2006年9月10日

僕のように目が見えていた時の記憶がない視覚障害者は、普通色という概念を理解していない。たとえば、「白いシャツ」と言われても、そのシャツと「白」という単語を結びつけて覚えるだけである。そして、「白い雪」という単語を聞いた時に、「白いシャツ」のことを思いだし、「ああ、雪と同じ色なのか」と思う、せいぜいそんなところで、その「白」という単語は僕の中では全く意味のない修飾語となってしまう。おそらく、触覚を持ったことのない人に、「ざらざら」とか「つるつる」とかいう感じを伝える場合も、僕に色を伝えるのと同じような状況になるのではないだろうか。

色の概念を持っていなくても、生活していく上で致命的な不自由はないと思っている。ただ、たとえば美しい風景を説明された時に、その美しさが伝わってこないのは残念だと思う。また、服の色を合わせる、というのが実に難しいことも確かで、こちらの方は、致命的ではないにしても、社会生活を営む上である程度不便である。だから僕はだいたいジーンズしかはかないし、シャツもジーンズに合うものだけを選んで買うようにしてきた。もっとも、もっとちゃんと色の組み合わせについての知識を持てば、もっといろいろな服を着られると思うのだが、どの服が何色かというのをいちいち覚えるのが大変に面倒、かつ正確に覚えるのが結構難しいということもあり、このような消極的な方法をとっている。衣類に関することで言えば、洗濯した後に靴下を正しくまとめる作業も、場合によっては大変難しい。だから僕は、触って分かる特徴がある靴下しか買わないという、こちらもまた消極的な方法で乗り切っている。

というようにある程度の工夫をすれば、色の概念がなくても、あまり困ることはない。少なくとも今までは、困っていないふりをして生活をし続けることができてきた。ところが、どこでどう間違ったか、触った感じは全く同じなのに色合いが違う二組の靴下がタンスの中にあることに、つい最近気づいてしまった。 (なぜ気づいたかと言えば、左右で違う色のものを吐いていた時に指摘されたからで、もし指摘してもらえてなければ、ずっと気づかなかっただろう。) このことがあって以来、座敷に上がる宴会がある日とか、人の家を訪ねる時とか、靴を脱いで診察室に入らなければならない歯医者へ行く時などには、なるべくこの二組の靴下を避けるという、これまた消極的なことをしなければならなくなった。

そんなこともあり、そしてもう少しまともな服を着るようにした方が良いのではないかというかねてからの思いもあり、少しくらい色という物に気を遣ってみようかという気になった。これまでよく用いられてきた方法 (らしい) は、衣類にアイロンで貼り付けることができる点字のラベルを張るという方法である。しかし、それは面倒である。それが面倒となると、個々の服の色を覚えるしかないが、これは面倒とかなんとか言う以前の問題として、非現実的である。そして、いずれの方法をとるにせよ、まず最初にそれぞれの服の色を正しく知る、という作業が必要になる。これまでは、買う時に聞いて覚えるようにしていたのだが、何枚も服を買った時などには、やはりこれも非現実的である。

そこで思い出したのが、色を識別して音声で教えてくれるという機械の存在だ。ただ、前に興味を持った時には、その価格の高さに驚き、購入をあきらめたということがあった。よく覚えていないのだが、確か 5万か 6万くらいしたと思う。しかし、今なら連れ合いと二人で使うことになるので、同じ値段を払うにしても、コストが半分になったような錯覚に陥ることができそうだな、などと訳の分からないことを考えて、調べてみることにした。

調べてみると、僕が視覚障害者向けの製品をよく購入する日本点字図書館で扱っていたのは、カラートークプラスという製品で、なんと 126,000円もすることが分かった。どうやらこれは新製品らしく、僕が以前調べた時に見たのは「カラートーク」という製品で、こちらはもう扱っていないようだった。ただ、ちょっと調べてみると、まだ製造元からの製品情報は公開されているので、もしかすると取扱店がまだあるのかもしれない。こちらの方の価格は、日本点字図書館の販売中止製品一覧のページによれば、 61,300円らしい。どうやら機能が増えているらしいが、倍以上の価格になってしまっていたとは、かなり驚かされた。ただ、古い方の価格でも、決して安くないことは確かだ。

あまりの値段に購買欲をそがれてしまったのだが、ふと思い立って海外の製品についても調べてみた。その結果、同様の製品には、イギリス製、カナダ製、オーストリア製の物があるらしいことが分かった。オーストリア製の物は、カラートークプラスほどではないにせよ、結構なお値段だった。ただ、時計などの付加機能がついているようだった。カナダ製のものに関しては、取り扱っている所を発見できなかったのでよく分からないのだが、価格的にはオーストリア製のものよりは安いようだった。そして、一番安いのがイギリス製のTalking Colour Detectorという製品で、送料込みで 50ポンドちょっと (11,000円~12,000円程度) だった。これなら失敗しても痛手はそれほど大きくないと判断したので、早速注文してみた。

驚いたことに、先週の木曜だか金曜だかに注文したばかりだったのに、今週の火曜には物が届いた。送料が 2.5ポンドと書いてあって、かなり安い印象だったので、どうせのんびりと船便かなにかでくるのだろうとばかり思っていたのだが、エアメールで送ってくれたらしい。ということで、本当は体調が優れなかったのでさっさと寝ようと思っていたのだが、新しいおもちゃを買ってもらった子供のごとく、早速試してみた。

本体は結構大降りで、あまり持ち歩きたいとは思えないような大きさだ。しかし実際に使うのはほとんどが家で服の整理をしたりする時であろうことを考えると、これはさほど重要な問題ではないだろう。まず、その時僕が吐いていたジーンズの色を調べてみた。使い方は簡単で、キャリブレーションのためのボタンを押しながら電源を入れ、しばらくしてビープ音が鳴ったらキャップを外し、先端を対象物に押し当てるだけだ。やってみると、 ``black'' と言われた。実は、僕はその日はいていたジーンズがブルージーンズなのかブラックジーンズなのかあまり確信が持てていなかったので、「おぉ、そうかそうか、こいつは便利だ」と素直に思った。

次に、手触りは同じなのに色が違うらしい 2組の靴下を試してみた。すると、 4本あるうちの 2本については、 ``light blue'' と言い、残りの 2本については ``grey'' と言われた。この色の判定がどの程度正しいのかはさっぱり分からないのだが、少なくともどれとどれが組なのかということは分かるわけで、その意味では十分に役立つものだと感じた。

というわけで、この製品、比較的使えそうだということが分かった。ただ、柄物の服などがどのように認識されるのかなど、誰かに見てもらいながら試さないとよく分からないこともいろいろとあるので、まだその信頼性などはよく分かっていない。ちなみに、自分の肌に押し当ててみたところ、 ``orange'' と言われて少々驚いた。どうやら、いくつかのサイトにあるコメントによれば、肌の色は正しく認識しないらしいのだが…。

ところで、この製品を試しながら考えたことがある。というのは、結局僕にとって色というのは単なる記号のようなものなのだということだ。正直なところ、この製品が発する英語の色の中には、日本語に訳すとどうなるのか分からないようなものもある。もう少し色について知識を深めれば、正しい訳を知ることが重要になってくると思うのだが、今の僕にはそこまでの情報は必要なさそうである。つまり、上の靴下の例を見ても分かるように、僕にとって重要なのは、どの服とどの服が同じ色で、どれとどれが違う色なのかということさえ判断できれば十分なのであって、その色の名前が何であるかを知る必要性はそれほど大きくないのである。

そう考えてみると、色やその他五感で受け取る情報というのは不思議なものだと感じる。たとえば白という色は、誰かが最初に白い物を見て「これを白という色だということにしよう」と言ったのかどうかはしらないが、そうやってみんなの中に「白」という色が定着している。みんな子供の頃からそう教えられているので、雪を見れば「白」だと思う。でも、個々の頭の中では、その雪の色がどのような信号に変換されているのか、もしかすると個々に違う形に変換されているかもしれない。白い物を見て、 Aさんが脳内で感じる信号は、もしかすると赤い物を見た時に Bさんが脳内で感じる信号と同じ、なんてことだってないとは言えないのではなかろうか。

音だってそうだ。僕たちがミンミンゼミの声を言葉に言い表すと、当然「みーんみんみんみー」とかなんとか、そんな風になる。ところが、外国人である連れ合いにやってもらうと「ぎーんぎんぎんぎー」とかなんとか、そんな感じになってしまう。確かに「み」よりは濁った音だから、こちらの方が正確かもしれない。

ともあれ、色の識別ができるようになったので、これからは、少なくとも左右で合ってない靴下はくことはなくなると思う。それ以上の服装の改善にはまだまだ時間がかかりそうではあるが……。