テキサス・インターン物語 (6) --- サマースクール ---

投稿: 2006年9月3日

夏休みに入ると、あるゆる物小言がゆったりとしたペースで流れ始めたような気がした。当時僕は、学校の敷地の一角にあるゲストハウスのような建物を借りて暮らしていたのだが、夏休みに入って生徒たちはみんな帰省し、先生たちも、その多くが夏休みの間は学校に来ないので、学校の中を歩いても、ほとんど人に会わなくなった。平日に学校へ行かなくて良いというのは、なんだか退屈なものだった。今まで取り組んできたものが急になくなってしまい、目的を失ってしまったような気の抜けたような感覚があった。学校の中の寂しさが、その感覚を増幅しているようでもあった。そんな夏休みに入って数日たったある日、普段一緒に仕事をしている先生から電話があった。

「Maxは夏休みは何か予定があるの?」
「(どこかに連れて行ってくれたりするのかな?) いや、特にないけど。」
「じゃあ、もしよかったら、サマースクールの手伝いしてくれないかな?」
「(なんだよ、働くのか) ああ、もちろん。」
やることがない状態で 2ヶ月の夏休みを過ごすなんて絶対に無理だと感じ始めていたので、二つ返事で引き受けた。

この盲学校では、夏休みの間にサマースクールという形で、いくつかの授業が開講されていた。各サマースクールは、 10~20人程度の定員で、それぞれ何らかのテーマが決められていた。期間は、 2週間のものと 3週間のものがあった。これらのサマースクールが、夏休みの前半にいくつか、後半にもまたいくつかが開講されていた。 (記憶が定かではないのだが、もしかすると夏休み全体を通した 6・7週間のプログラムというのもあったかもしれない。) 各サマースクールのテーマは、職業訓練を行うもの、数学を徹底的にやるもの、点字の学習をするもの、などなど様々だった。また、このサマースクールに参加するのは、原則として普段一般の学校に通っていて、同年代で自分と同じ障害を持つ生徒と共に学ぶチャンスがない子供たちなので、小学生向けのサマースクールの中には、単に自分と同じ障害を持つ子供たちと学ぶことを目的としている物もあった。そして言うまでもなく、僕が関わることになったのは、徹底的にコンピュータ・スキルを身につけるためのサマースクールだった。

卒業式とサマースクールの間には、 1週間の時間があった。その授業のない週の金曜に、僕も関わることになったサマースクールの関係者による打ち合わせがあった。普段僕が一緒に働いている先生、その先生と比較的仲が良く、情報処理の授業時間にやるように、といつも生徒たちに英語の課題を出す先生、そして普段は主に小学生の教室にいて、あまり合ったことがない女性が一人いた。当初の予定では、もう一人、いつも僕がいる教室の隣の教室で、主に点字を教えている全盲の女性の先生もこれに加わる予定だったのが、いろいろな事情で彼女は参加できなくなってしまったということだった。実は、このこともあって僕をかり出すことにしたらしかった。その打ち合わせの時にいたかどうかよく覚えていないのだが、これに加えて、もう二人の先生が折に触れていろいろと手伝ってくれていたように記憶している。打ち合わせの方は、この 2週間のコースをどんな内容にするのか、どんな生徒がいるのか、誰が何を担当するのか、といったことを確認しただけのものだった。

この打ち合わせの頃から、構内に徐々に活気が戻ってきた。僕のようにサマースクールの打ち合わせや準備のために学校にやってくる先生も多かった。そして、このサマースクールで教育実習をするという学生や、僕のようにインターンという形でボランティアをする人たちが、徐々に集まってきていた。彼らの多くは、それなりに遠い所から来ていたようで、構内の宿泊可能な施設がどんどん埋まっていった。そして、ベッドルームが余っていた僕がいたゲストハウスにも、ニューメキシコから来た教育実習生が宿泊することになった。

教育実習生と言っても、彼はもう 40過ぎのおじさん (いや失礼、とは言っても言われなければ分からないほど若々しい) で、既に高校の先生として十何年かの経験を持つ人だった。しかし、彼は視覚障害者に対する歩行訓練に興味を持ち、通信教育でそのための視覚を取ろうと思い立ち、数年かけていくつかのスクーリングをこなしつつ、地道に教育実習までたどり着いたのだそうだ。聞けば彼はニューメキシコにあるナバホ俗 (アメリカ・インディアンの比較的大きな部族だそうです) の居留区にある学校で、ここ数年教えているのだという。文化的な違いなどの難しさもあって、白人の教員がここに長く留まることはほとんどないのだが、そんな中で彼のここでのキャリアは白人としては群を抜いて長いのだそうだ。しかし、ナバホの学校でいつまでも教え続けられるかというと、決してそんなことはないと感じ、次の仕事への足がかりとなればとも考えて、視覚障害児教育に関心を向けたという側面もあるのだと、妙に明るい調子で話してくれた。

僕は彼の話を聞くのが好きだった。常に何かをし続けようという姿勢や、常に誰かの役に立とうとする姿勢には、少なからず感銘を受けた。しかし、そういう話だけでなく、どちらかというとどうでもいい話も面白かった。ある時、アイスクリームをうまそうに食べながら、彼が普段住んでいる所が、どれほどの田舎かということを話してくれた。食料品などを買おうと思うと、片道 1時間ばかりハイウェイをぶっ飛ばして近くの町まで行かなければならないそうだ。だから、アイスクリームを買おうと思うとクーラーボックスが必要になるのだが、普段はその他の食料品とか牛乳とかを買うので、アイスクリームを入れるスペースがクーラーボックスに残っていることなどないのだそうだ。だから彼にとってアイスクリームは贅沢品なのだそうだ。他にも、普段はテレビなんか見られないからと言いながら、嬉しそうに特段面白いわけでもない番組を眺めていたり、彼が住んでいる所では、市内通話扱いで電話ができる相手はおそらく十数件しかないことを話してくれたり、彼のいるあたりは本当に湿度が低くて、シリアルの中のレーズンを噛んで歯を折った人がいるという話をしてくれたり、いろいろと印象に残っている。

さて、話をサマースクールに戻そう。記憶が定かではないのだが、僕たちのコースには、 12人の生徒がいたように思う。僕たちは、三つの教室を使っていたので、この生徒たちを三つのグループに分けて授業を進めた。各教室に、責任者となる先生を割り当て、生徒たちは、グループ事にこの三つの教室を移動するという形をとった。そして、僕はというと、この三つの教室を行ったり来たりして、主に全盲の生徒の指導を行った。

前述の通り、サマースクールに来るのは普段一般の学校で学んでいる生徒だ。以前にも書いたことがあるが、これらの生徒たちは、点字や歩行や情報処理という、視覚障害児に特化した教育や訓練が必要な事柄に関しても、一定の能力を持っている、もしくは十分な指導が受けられる状況にあるために、普段盲学校ではなく一般の学校に通っている。とは言っても、やはりそのような特殊な分野に関する教育が不足なくできる環境を作ることは容易ではないので、サマースクールのような形で、彼らにも短期集中型で盲学校での教育を受ける機会を与えられるようにする仕組みが存在しているのである。サマースクールに来ていた生徒たちも、一般校で特に問題なく学んでいるだけあって、普段の授業で接している子供たちに多く見られる学習障害や発達障害などはほとんど見られない。したがって、何かを教えるにしても随分楽だというのが正直な印象だ。だから、授業そのものはおおかたスムースに進み、僕自身もあまり苦労することはなかった。

しかし、この 2週間のサマースクールでの子供たちの様子を見ていて、気になったこともある。前述の通り、彼らは既に視覚障害児教育に特化した部分の教育はそれなりに受けてきているはずである。ただ、その中で情報処理についてはある程度進んだ教育が必要であるという判断で、このサマースクールに送り込まれてきているわけだ。したがって、歩行能力とか、全盲の場合には点字による読み書きといった部分に関しては、理論上問題はない子供たちばかりだということになる。しかし、実際にどうかというと、全盲の子供たちの歩行能力に関しては、疑問を持たざるを得ないケースが多かった。全盲の生徒はたしか 4人いたのだが、そのうちの一人は全く問題なくあちこち自分で歩き回っていたが、他の 3人は、自分で歩こうという積極性にも書けていたと感じる。初めて訪れた場所を一人で歩けないのは当然としても、 2週間のサマースクールの終盤にさしかかってもなお、同じ建物の中にある、少し離れた二つの教室の間の移動を一人ではできない、これはどう考えてもおかしい。コンピュータについて学ぶ前に、他に身につけるべき能力があるのではないか、そう言いたくなってしまった。もっともこれは彼らの責任というよりも、そのような状況を許容してきた学校の担当者や親の責任という部分が大きいと思う。視覚障害児の教育の制度そのものは、比較的よく考えて作られていると感じる部分も多いのだが、いくらしっかりとした制度であっても、その運用がしっかりとしていなければ、その目指す所へは到達できないのだということを、強く感じさせられた一件だった。そして、このことは統合教育の流れが加速しているらしい日本の視覚障害児教育にとっても、しっかりと考えなければならない問題だと感じた。

2週間のサマースクールは無事に終了し、僕は再びのんびりとした夏休みに戻った。しかし、サマースクールの全てのプログラムが修了する 7月の末までは、愉快で、そしていい刺激を与えてくれる同居人を得たので、当初心配していたほど退屈な夏休みになることはなさそうだった。

おまけ: 教育実習おじさんのことを書こうと思って、いろいろと思い出そうと調べていた時に見つけたページ:
Matoのナバホ滞在記

(第7話へ続く)

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