テキサス・インターン物語 (7) --- 夏休み ---

投稿: 2006年9月6日

サマースクールが終わってからの数日は、何となく寂しいような物足りないような気持ちで過ごした。知らないうちに、僕は子供たちと過ごす時間を思いの外楽しむようになっていたようだ。行くべき授業もなく、取り立ててやるべきこともない、久々に訪れたそんな贅沢な時間を、どう過ごしていいのか分からずに、数日が過ぎた。しかし、だんだんそんな生活にも慣れてきて、 1週間もするとすっかりその余裕に満ちた生活を楽しむようになっていた。

全体的にはのんびり、だらだらと過ごした夏休みだったのだが、全く何もしなかった訳でもない。まず最初に思い出すのは、日本における障害者に対するワープロの給付に関する声明文というのを、日本にいる人たちと協力して作ったことだ。詳しく書くと長くなるので簡単に書くが、これは丁度この頃、ある作業所で、障害者が給付を受けられるワープロの代わりに、パソコンを受け取ったことが問題になったことに端を発する。この件について、僕が以前から多くの人々とやっている NAPという任意団体で、国の対応や考え方などを批判する声明文を作り、発表する、ということをやった。 (興味がある方は、当時発表した声明文をご覧ください。) これが結構大変だった。基本的に、この作業をした人の中で一番暇だったのは僕だったので、いろいろな人が出してくれる意見を取り入れて声明文をとりまとめたのだが、時差のおかげで、とにかく眠かった。そして、日本時間の適当な時間を見計らって、この声明文を各所へ送ったのだが、この作業も結局僕の時間では真夜中だったので、この一連の作業のせいで、すっかり昼夜逆転してしまった。しかし、思いの外反響が大きかったこともあり、これはこれで良い経験だったと思う。

もう一つ思い出すのは、久々にアマチュア無線に没頭したことだ。オースティンに来て数週間たった頃、ふと思い立ってアメリカのアマチュア無線の免許を取得すべく試験を受けたのだが、その後の手続きなどの影響で、実際に免許が出たのがこの時期だった。暇だったのをいいことに、随分長い時間を、無線で無駄話をするのに費やした。また、無線で知り合った人と会ったりもして、なかなか充実したハムライフを過ごすことができた。アメリカのハム (アマチュア無線のことですよ) については、また別の機会に詳しく書きたいと思う。

それから、これは僕が何かをした、ということではないのだが、この夏休みの間は、とにかく住まいのトラブルが多かったことをよく覚えている。まず最初にエアコンが壊れた。以前にも書いたが、ここでエアコンのない生活をするのはかなり厳しい。幸い、別のゲストハウスに一時的に移動できたのでよかったのだが。エアコンの次には、なぜかケーブルテレビが一切映らなくなった。どうやら何かの工事をした時に、ケーブルが切断されてしまったらしい。数日たって復活したが、先日紹介した教育実習のおじさんは、テレビがない間、随分残念そうにしていたのをよく覚えている。それが直ったかと思うと、今度は水が出なくなった。正確には冷たい水がちょろちょろとしか出なくなった。お湯は普通に出るのだが、こんな状況だからシャワーを浴びようとすると熱湯を浴びることになってしまい、これには本当に困った。仕方がないので、バスタブにお湯をはって、それがさめるのを待って体を洗っていた。それが直ったかと思ったら、今度はトイレが詰まってしまった。仕方がないので、夜は我慢し、昼は学校の校舎まで用を足しに行くという生活を二日ほどしなければならなかった。よくもまあここまで続けて短期間にいろいろと起こるものだと、最後には呆れたものだった。

他にも、友人が遊びに来たり、ピッツバーグへ視覚障害児教育に関する学会みたいなのを見学に行ったり、川遊びをしに行ったり、などなど、いろいろとあって、ゆったりと流れるように夏休みは過ぎて行った。久々に何も考えず、真に解放された精神状態でまとまった時間を過ごすことができて、新学期へ向けて大いに充電できた休みだった。そして 8月に入ると、間もなく始まる新学期のことを考えて、だんだんとわくわくしてくるのだった。

(第8話へ続く)

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