新聞記者までが誤用する「ウィキ」

投稿: 2007年3月8日

産経のニュースサイト、イザ!に、【ネットウオッチング】「ウィキ」引用問題あり?という記事があった。内容としては、フリー百科事典 Wikipediaに掲載されている情報は、時に信頼性に欠けるというもので、この点については以前の記事でも述べたように、僕も同感である。しかし、この記事を読んで気になったことが 2点ほどある。

まず一つは、「ウィキ」という言葉の使い方だ。確かに最近特に学生の間などで、 Wikipediaのことを略して ``wiki''とか「ウィキ」とか言うのは珍しくないらしい。しかし、 Wikipediaの「ウィキ」の項にもあるように、 wikiとは元々ブラウザを用いてサーバ上のハイパーテクストを書き換えることができるシステムを指す言葉である。そして、 wikiが何の略かと言えば、 wikipediaではなく wikiwikiという言葉の略であるとするのが適切だろう。そして、やはり Wikipediaの「ウィキ」の項には、こんなことも書かれている:

なお、ウィキペディアのことをウィキと略すのは誤用として、嫌がる利用者もいる。また、ウィキがウィキペディアなのか他のウィキなのかはっきりしない事があるため、ウィキペディアの事である場合はあまり略さないほうがよい。

Wikipedia以外の wikiシステムに接することのない人たちが、こういった誤用をするのは仕方がない部分もあるだろう。しかし、これが情報系の学生や情報系の仕事をしている人だと、あまりよろしくないように思う。そして、新聞記者という、言葉を使って正確な情報を伝えることを仕事をする人がこのような誤用をすることには、少なからず憂慮を覚える。 Wikipediaの信頼性が必ずしも高くないというのは僕も認めるが、ちょっと Wikipediaで調べれば誤用、あるいは推奨されない用法であることくらいは分かるのだから、そのくらいの手間を惜しまないでいただきたいものである。あるいは、言葉は生き物であるから、多数が誤用すればそれが正しい用法だという考えの記者さんなのだろうか。

もう一転は、前々から感じていることなのだが、 Wikipediaの利用者の多くは、僕も含めてあまりに受動的なのではないかということだ。この記事にも、 Wikipediaの記述が誤りであったという経験が紹介されているし、どこかで眼にしたブログには、 Wikipediaはフランスの思想家などに関する記述が貧弱である、ということが書かれていた。この記事で指摘されている誤りや、どこかで眼にしたブログにあった Wikipeidaの不得意分やに関する指摘は、おそらくはそれぞれ適切な指摘なのだろう。しかし、この指摘をしている人たちは、なぜ自分たちが知っているより正しい情報や、より深い情報を提供して、 Wikipediaをより正しい、そして網羅性のある物にしようとしないのだろうか。 Wikipediaというのは、そもそもそういう人たちの知識の集合だということを忘れてはいないだろうか。必要な時だけ情報を受け取り、それが間違っていたり十分でない時には、それを加筆修正するのではなく、「Wikipediaの信頼性は大したことはない」という結論にたどり着いてしまう。そしてそれをブログや新聞記事にまで書いてしまっているのでは、さも「私の取材力や知識は Wikipediaなんかよりも優れているし、私が自分で手にした情報は Wikipediaなんかに提供しない。」とかなんとか言いたいようにさえ感じられてしまう。あまりにも都合が良すぎるのではないだろうか。 (もちろん Wikipediaのエントリーの加筆修正をした上でそういうことをブログや記事に書いているのであれば、それはすばらしいことなのだが。)

最後にもう一つ。 Wikipediaの日本語表記は、 Wikipedia上でも「ウィキペディア」となっている。しかし、僕はどうもこれがしっくりこない。英語の発音では、どちらかというと「ウィキピディア」に近いのではないかと思うのだ。新しい外来語を受け入れる時、必要以上に原語に近い発音にする必要はないと思うが、必要以上にローマ字的読み方をする必要もないのではないかという気がする。

と、 Wikipediaについて最近感じていることをあまり考えもせずに書いたら、すっかりまとまりがなくなってしまった。無理にまとめようとしてもまとまりそうにないので、今日はここまで。乱文多謝。