さよならストリーム

投稿: 2009年4月11日

ここ2年間、自宅で仕事をすることが多かった。本当に集中しないといけない時、それから講義のうち自主制作分を録音する時を除いて、ほとんどの時間、僕が仕事部屋にしている部屋にはラジオが流れていた。その中でも、知らないうちに聴くことが習慣化して、そして本当は仕事のBGM的存在であったはずなのに、どちらかというとCMの時間に仕事をしているような状態になってしまっっていた番組がある。それが、TBSラジオで放送されていて、3月27日で終了してしまった午後の番組「ストリーム」だった。

僕は元々ラジオが好きで、昔からよくいろいろな番組を聴いていた。十代のころは、とにかく笑えるおもしろさを求めていろいろな番組を聴いていたと思う。それが十代の後半にもなると、ラジオに求めるものは音楽やその関連情報に変わっていった。そして大学を卒業したころには、なぜかラジオから少し遠ざかった生活をしていたように思う。そうはいっても、テレビよりはラジオ、という生活だったことは間違いないけれど。常にラジオが側にある生活をしてきたわけだから、これまでに終了してしまった番組だっていくつも知っている。でも、今回のストリームの終了は本当に残念で、一つのラジオ番組が終わってしまったことをこんなに寂しく感じたのは本当に久々だという気がする。午後のあの時間帯にどうも穴が開いてしまったような、なんとも寂しい気持ちにさせられている。

僕がなぜそこまでストリームを好きになり、いわば生活の一部のような存在として考えるようになったのか、その理由は分からない。僕が好きなラジオ番組にはいくつかの特徴があって、おそらくストリームはそのどれをも持っていたのだろう。具体的には、出演者の人間性が垣間見られて、かつその人間性が僕にとって親しみを感じられるようなものであること、人間性とも関係してくる部分だけれど番組全体の雰囲気が暖かくてかつ内に閉じていないこと、聴いていて発見があること、などだろうか。ストリームの場合、メインのパーソナリティだった小西克哉さんと、DJ Mappieとしても知られる松本ともこさんという二人を中心に、個性的な出演者が幅の広い情報を提供してくれたこと、そしてこれらの人々の暖かさが伝わってくるような内容だったことが大きいのだと思う。社会的な話を他の番組やメディアとは違った角度からとらえ、ヒットチャートだけにとらわれない音楽の情報や芸能界の話題も提供してくれる、考えてもみれば随分ととんがった、そして幅が広い、だから飽きのこない番組だったと思う。トークが中心であるという点ではAMの昼の番組らしさが強かったと思うけれど、Mappieが元々持っているクールでおしゃれな雰囲気や、昼のAMにはない音楽関連の情報の幅広さが加わって、AMとFMの良いところをうまく合わせたような、そんな番組になっていたと感じる。

TOKYO FMの局アナだったころのMappieは、クールでおしゃれな雰囲気が強すぎて、その雰囲気が人間性を隠してしまっていて、なんだか近寄りがたいような印象を僕は持っていた。ところが、ストリームでの彼女は、「クールでおしゃれ」はほぼそのままに人間性が表に出るようなしゃべり方をしていて、これまでとは逆に親しみやすい雰囲気を感じさせられた。また、小西さんは、ニュースの話題などではまじめな雰囲気になるものの、そうでない時はやはり親しみやすい雰囲気の強いしゃべり方をする人だった。僕は、意外な、けれども僕が聞いてみたいような質問を繰り出す彼のインタビューが好きだった。そして、この二人の話を聞いていると、価値観というか考え方というか、そういった部分で共感できる部分が少なくないことも、二人への、そして番組への親しみにつながったのだろう。

そんな出演者、そんな番組だったから、確かに僕は一方的に伝わってくる声を聴くだけだったけど、感覚的には仕事場にいる仲間のような、そんな風にこの番組をとらえていたようだ。だから、繰り返しになるけど番組終了は本当に寂しく、友達を失ったような気持ちを感じている。最終回の3月27日は、2年間勤めた職場で、僕の送別会 (と称した飲み会) があったので、残念ながらいつもの時間帯に聴くことはできなかった。が、録音しておいて、次の日の夜中に聴いた。番組のエンディングで声を詰まらせていたMappieの声を聴いて、僕ももらい泣きした。

ストリームが始まったのは2001年の10月のことだそうだ。丁度そのころ、僕はアメリカにいたので、当時のことはよく知らない。しかし、この8年間というのは、ラジオを取り巻く環境が大きく変わった時期であったようにも思う。ストリーム開始当時は、ホームページを使った情報提供やメールの募集というのはあまり多くの番組で行われていなかったと思う。しかし、最近ではホームページやメール、そしてポッドキャストというのがあらゆる番組で活用されるようになっている。ストリームの場合も、ホームページでの情報提供やポッドキャストは積極的に行われていたようだ。たまにホームページを覗くと、結構充実した内容になっていて、番組のちょっとした記録としても価値のあるものだと感じさせられたものだ。そして、ポッドキャストでは、ストリームならではの内容が配信されており、これもやはり価値のあるものだったと思う。

ところが、そんなホームページは3月末に早々と閉鎖されてしまった。「サーバ負荷軽減のため」という理由が示されていたが、これにはどうも納得がいかない。そんなに短期間で閉鎖してしまえば、その短期間にアクセスが集中してむしろサーバの負荷が高くなってしまうのは目に見えている。 (実際僕も慌てて全ポッドキャストコンテンツをダウンロードしてサーバの負荷増加に貢献した。) むしろ長期間にわたってコンテンツを残す方が、サーバの負荷軽減には役立つだろう。そして、このホームページやポッドキャストのコンテンツの「記録」としての価値を全く考えないというのは、放送局の姿勢としてはやはりおかしなものであるように感じられてならない。この8年間、コミュニティと文化を築いてきたものを簡単に消してしまうというのは、あまりにもったいないと思うのだ。放送局側としてぱ、新しい番組のインパクトを最大化するためにこのようなことをしているのとも考えられなくはないが、これは聴取者の気持ちを考えない行為であり、聴取者が離れていってしまうことにもつながりかねないのではないだろうか。現に僕自身も、番組の終了、ホームページの閉鎖などでTBSに対する悪感情を持ったし、その後の番組を聴いてみようという気さえ奪われてしまった。

関連して思い出したのだが、誰だかが以前ストリームの中で、「テレビやラジオは引用ができないから文化としては二流だと言われてしまうことがある」というような発言をしていたような記憶がある。実際この発言も引用ができず、僕の怪しい記憶に頼って書いているくらいだ。しかし、もしポッドキャスト・コンテンツという形で放送内容の一部でも永続的に残しておけば、事実上の引用が可能になるのではないだろうか。そのコンテンツにリンクを張った上で、「このコンテンツの何分何秒あたりでこうこうこういう発言があるが」という参照が可能になるのではないだろうか。そういったことができれば、自分の考えを変えた一言、新たなアイディアをくれたインタビュー、そんなものを紹介しつつ文章を書く人だって出てくるだろう。そうすることによって、ラジオが作り出しているコンテンツの良さが再認識されるようなことだってあるかもしれない。しかし、少なくともストリームの場合を見ると、TBSラジオはラジオの価値を高めることにつながる可能性はどうでも良いという考えであるらしいことが残念だ。

話がそれてしまったけれど、ともかく僕はストリームの終了が残念でならない。ただ、最近は昔とは違って、番組が終わってもブログなんかを通して出演者を比較的近い距離に感じられたりもするのがありがたい。そんなわけで、ストリーム終了後の投稿をきっかけに、MappieのブログをRSSリーダに登録してみた。

Mappieのブログを読みながら考えたのだけれど、今は個人でもちょっと時間と労力をかければブログのような文字や写真による情報発信だけでなく、ポッドキャストや動画投稿サイトを使った音声や動画による情報発信だってできてしまう。だから、もちろんどうやって稼ぐかという重大な問題はあるけれど、元出演者たちや番組制作関係者がその気になれば、放送局なんか無視して自分が作りたい番組を作って配信することだって技術的には可能なのだ。「稼ぐ仕組み」を実現することも含めて、インターネットを自由な情報発信の場に近づけるために必要なこと、そんなことについてもこれからは考えてみたいと感じる。

と、また話がそれた。ともかく、ここしばらくの間、僕の仕事仲間のような役割を果たしてくれたストリームの出演者や関係者にお礼を言いたい。ありがとう。