エジプト情勢を追いかけながら考えていること

投稿: 2011年2月2日

ここ1週間ほど、エジプト情勢に注目している。言うまでもなく、1月25日に始まった民衆デモのことだ。僕の情報源はほとんどがTwitterなのだけれど、気づいてみるとまさに「Twitterに張り付くようにして」エジプト関連の情報を追っている。なぜそこまでエジプト情勢に興味があるのか、僕にとってTwitterを使うというのがどういうことなのか、そんなことを少し考えた。

元々僕は、国際関係とか中東問題とかにそれなりに興味がある。 (あった、と言う方が正確かもしれない。) その理由と経緯を話し始めると長くなるので話さないが、そんなこともあって、さほど詳しいわけではないが今回の動きや、その前のチュニジアの動きには関心を持っている。

チュニジアの動きもエジプトの動きも、最初に知ったのはTwitter上の誰かの発言からだったと思う。今となっては誰のどういう発言だったかは覚えていないが、たぶんモーリー・ロバートソンさんあたりの発言だったのではないかと思う。それがきっかけとなって、少し情報収集をしてみることにしたわけである。

エジプトの話は、僕が知った時にはすでに民衆によるそれなりに規模が大きなデモが行われていた時だったので、何かしら情報が得られるだろうと思って、まずテレビ (地上波) をつけてみたり、新聞各社のサイトを回ってみたりした。ところが、驚いたことにほとんどと言っていいほど情報が得られなかった。そこで今度は、CNNを見てみた。するとCNNは特別編成なのだろう、中継を入れながらエジプト情勢を報じていた。もしかして、国内地上波放送ではやってなくても、ニュース専門チャンネルでは報じてるかも、とも思ったので、我が家のケーブルテレビで視聴できるそのようなチャンネルをいくつか視てみたのだけど、少なくとも僕が視ていた1時間ちょっとの間には全く報じられなかった。「この差はいったいなんだ!?」というのが正直な感想だった。

確かにアメリカとエジプトの関係を考えると、このことがアメリカにとって小さくない問題なのだろうから、CNNがそれなりに注目するのは理解できる。では、日本にとってこの件は小さな問題なのだろうか? 素人目にも決してそんなことはないように感じられる。アラブ世界で大きな存在感を示しているであろうエジプト、イスラエルと休戦して親米路線を取っているエジプト、そんな国の政権が変わり、外交が変わったらどうなるのか。エジプトをきっかけに、他のアラブ諸国に民衆による政権打倒の動きが広がったらどうなるのか。そういうことが日本に影響を及ぼさないなどとはとても考えられないと思うのだ。にもかかわらず、マスメディアがほとんど報じていないというのはどういうことなのか、僕にはさっぱり理解できなかった。

一方Twitterでは、海外のメディアの公式アカウントや、これらのメディアの記者のアカウント、エジプト関連の活動家のアカウント、エジプト在住の人のアカウント、こういったアカウントから興味深いツイートを抜き出して翻訳したりしながら発信する日本人のフリー・ジャーナリストのアカウントなどがあり、様々な人によって発信される情報を得ることができる。そして、これらのツイートでは、海外のメディアで放送されたビデオ、海外紙の報道、現地の様子を撮った動画なども紹介されている。そして、日本ではあまり簡単に視聴できないと思われる、中東の衛星放送、アルジャジーラもWeb上で視聴することができる。また、モーリー・ロバートソンさんのように、日本語による解説の音声コンテンツを配信する人もいる。こういったものの中から、最新情報を知るために必要な情報、自分が理解するために必要な情報を拾いながらエジプト情勢を追いかけるので、気がつくとあっという間に時間が過ぎてしまう。

このような形で情報収集をしてみて改めて感じたことは、能動的に情報収集をした場合と、旧来のメディアが伝えることを受動的に受け取っているだけの場合では、本当に大きな情報格差が生じてしまう、ということだ。確かデモが始まって3日目あたりからだと思うが、日本のテレビニュースなどでも伝えられるようになってきたのだけれど、その時伝わってきた情報量はきわめて少なかった。独裁者を追放して自由を勝ち取るために彼らが立ち上がったのだということ、そのような行動に彼らを駆り立てた国内状況、そういったことがほとんど語られていないと感じた。ともすれば、単純なイスラム教徒の抗議運動、というような印象を与えそうな伝え方もあったと思う。中には「暴徒化した民衆」などという安易な表現を使っている報道もあったが、僕が読んだ情報では、治安部隊などが一般市民のような顔をして略奪を行っているようなケースもあるというから、このような報道は安易で一面的な見方によるものだと考えざるを得ない。また、治安部隊 (警察組織) と軍の立場の違いなどについても、ほとんど語られていないのではないかという気がする。もっとも、僕は日本での報道のあまりの貧弱さにがっかりしたし、Twitter上で流れてくる情報を追いかけるのに時間がいくらあっても足らないような感じなので、その後、日本国内のテレビや新聞社の報道をほとんど見なくなってしまった。だから、もしかすると現状は改善しているのかもしれない (そう願っている) のだけれど、実際のところは分からない。

本来マスメディアは、多くの人にとって有用な情報を、客観的な事実として伝え、その上で理解を助けるための解説を加える、そういう役割を期待されていたのだと思う。ところが、今の日本のマスメディア (主にいわゆる記者クラブメディア) の報道は、どうもそうなっていないような気がしている。一方、インターネットを使い、使える人は外国語も使って能動的に情報収集をすることで、旧来のメディアが伝えないことを知ることもできるのが現状だ。ただ、そのような能動的な情報収集をしようとすると、実はかなりの時間がかかるのも事実で、僕も含めて多くの人は、自分なりに信頼できると思う個人や、海外メディアを含む組織、まとめページなどを利用することになる。つまり、本来マスメディアに期待されていたようなことを代替してくれるような情報源を個々に持つようになってきていると見ることができるだろう。旧来メディアは、本当にこんなことで良いのか、もう手遅れかもしれないけど、そろそろ真剣に考えないと取り返しが付かないことになるのではないだろうか。健全な社会には健全なジャーナリズムが必要なことは間違いないと思うので、ぜひ彼らには奮起していただきたいと願っている。

能動的に情報収集をしようという気持ちがある人でも、英語力やアラビア語力がある人と、そうでない人では大きな情報格差が生じるだろうし、インターネットを使うスキルや環境がない人たちはさらに情報を得られないことになってしまう。言語能力については多くの人々が間に入ってくれているし、機械翻訳サービスもあるから、思っているほど深刻な問題ではないのかもしれないが、インターネットを使った情報収集ができないという場合の問題は深刻だ。そして、さらに深刻なのは能動的に情報収集をする手段としてインターネットを思いつかない人、さらには能動的に情報収集をしようとしない場合だろう。そして、実はこの「能動的に情報収集をしない人」というのがお思いの外多いのではないかと思って心配している。

僕はこれまで、視覚障害者を含む身体障害者や学習障害者が情報障害者にならないために、インターネットのアクセシビリティを重視して、そのことを常に考えてきた。今回の件でも、実際それなりにアクセシビリティが高いコンテンツが多いおかげで、あらゆる情報を得られている。アクセシビリティを確保し、向上させていこうという取り組みが引き続き重要なのは言うまでもないことなのだが、そもそも「アクセスする」という行動を定着させるための取り組みも同じくらい、もしかするとそれ以上に重要なのではないかという気がしてきている。そのような取り組みを進めなければ、情報格差は広がる一方だろう。そして、僕は常に「豊かな社会とは多様性があり、多様性を許容する社会である」と信じているのだけれど、十分に情報が得られない状況においては、多様性の存在を認識することすらできないわけで、社会を豊かにするためにも、不可欠なことであるように思う。これは今後、アクセシビリティ同様に僕の中での一つのテーマとして考えていきたいと思っている。

話をTwitterに戻そう。そんなわけで、僕はTwitterを見ながらエジプト情勢を追いかけている。そうすると興味深い情報や、できれば他の人にも見てもらいたい情報、他の人も興味を持つかもしれない情報にしばしば行き当たる。僕自身の考えが一切入らない、いわゆる公式RTが多いのは、人によっては迷惑なことだと感じるかもしれないと思いつつ、それでもやはりRTしたいものかどうかを考えて、結果的に普段よりかなり多くのツイートをRTしている。それがお気に召さないフォロワーの方がいらっしゃる可能性は十分に考えられるのだけど、そういうことも含めて、僕がどんなことを考え、どんなことに興味を持って暮らしている人間なのかをそのまま表すのがTwitterだというのが、僕のTwitterに対するスタンスなので、そういう方にはフォローを解除していただくのが良いだろうと思っている。また、あわよくば、マスメディアがあまり伝えないようなことだけれども重要かもしれない (と僕が思う) ことを、一人でも多くの人に伝えたいという気持ちもある。それをきっかけにして、遠い地の人々の幸いとか、マスメディアのあり方とか、日本社会の不可思議さとか、そういうことを考える人が一人でも増えて、結果としてより健全な社会の実現が近づけば良いと思っている。

ともあれ、このエジプトの件でこんなことをあれこれと考えた。少なくともマスメディアとの関わり方について真剣に考え直さないといけないことを痛感した。きっと今後の僕の考え方や活動にも影響を与えることになるのではないかという気がする。

そして、最後になってしまったが、これ以上の犠牲者が出ないこと、エジプトの子供たちが幸せな未来を得られるような方向に事が進むことを心より願っている。長い目で見れば、エジプトの民衆の幸せを犠牲にしてまで得なければならない世界平和なんていうのはまやかしだと思うからだ。エジプトの人々、エジプトの子供たちに幸あれ。