単語末尾の長音符

投稿: 2015年1月19日

ここ数年、気になっていることがある。英語では ‘accessibility’ と書かれるこの言葉を、日本語の片仮名で表記する場合のことだ。

僕はここ数年間は頑固なまでに「アクセシビリティー」と書いている。が、世の中のほとんどの人は「アクセシビリティ」と、最後の長音符を付けずに書いているのだ。

はっきり言ってどっちでも良い、という類の話だという気もするのだけど、特にこの「アクセシビリティー」に関しては、僕にとっては重要なキーワードだけに、そこについてはこだわりたいという思いがある。

ではなぜ僕が、あえて世の中の流れに逆らって (というより流れを無視して) 長音符を付けているのかという話をしたい。

まず、一番大きな理由は、実際に発音する時にはみんな単語末尾を伸ばしている、つまり「アクセシビリティー」と発音している、という点だ。片仮名というのは表音文字であって、だとしたら発話内容と一致させるのが当然のように思えるのだ。

そして、英語で ‘accessibility’ と言う場合も、やはり語尾は伸ばしているように聞こえるのが普通だ。そこをあえて長音符無しで表記する意味が分からない。

とはいえ、世の中的には長音符無しで表記するのが一般的なわけで、何かしら理由はあるのだろう。ぱっと思いつくところでは、JISにおける表記のルールがそうなっている、ということがある。でも、なぜそうなっているのか、その理由はよく分からない。

Twitterで知人に言われて、ああなるほど、と思ったのは、プロポーショナル・フォントが一般的ではなかった時代においては、長音符があると間延びして見えてしまうからではないか、という説だ。確かに見た目に違和感がないことは、読みやすさにもつながるし、それはそれで必要なことだろうと思う。

僕は基本的に言文一致というルールでやるべきだと思っているのだけど、百歩譲って、語尾の長音符は一律で付けない、というルールを採用する、ということも考えてみた。

しかし、そうすると短い単語はどうも意味不明な雰囲気になってしまう気がするのだ。

accessibility → アクセシビリティ
usability → ユーザビリティ
green tea → グリーンティ
city → シティ
party → パーティ
tea → ティ

でも一律のルールだから、長音符を補って読んでみれば意味は分からなくもない。

では、派生語、複合語はどうだろう。

上の表記を踏襲した表記をすると、

cities → シティズ
tea party → ティパーティ

なかなか難解だ。

そういうときは長音符付けて書けば良いんだよ、ということになりそうだけど、そうすると、同じ言葉 (例えば tea) に対する片仮名表記が複数あるということになってしまって、これが僕には気持ち悪い。

では、一定の文字数以下のときには長音符付ける、というルールではどうかという話になると思う。実際、JISはたしかこのルールになっているはずだ。 (何文字以下なのかはよく覚えていない。)

この後触れる、テキストから音声への変換のことを考えなければ、僕はこのルールで妥協しても良いように思う。が、妥協したくない理由があるのだ。

それは、これはアクセシビリティー的な観点で考えた場合なのだけど、表音文字が必ずしも発話と一致していないとすると、テキストで提供されたデータを音声化する場合になるべく分かりやすくするためには、一般的な発話とテキスト表記の間に差があることになってしまって都合が悪いと思う。

アクセシビリティ → アクセシビリティー
シティ → シティー
グリーンティ → グリーンティー

などといった発音辞書を持たないといけなくなってしまう。せっかく機械可読な状態で情報を提供しても、そこには人が介在して作ったデータに基づいた処理が必要なのだとしたら、そんなにもったいないことはない。せっかくの情報のアクセシビリティーを下げることになってしまうと僕は思うのだ。

僕が某所で「アクセシビリティー」の表記に関して長音符を付けるべき、と強硬に主張した時、「一般的には長音符無しなんだから無しで」という、やはり強硬な反論が出てきた。SEOの観点からは、「一般的にこうなのだから」という理由は重要なのだけど、それだけの理由で、せっかくの情報活用の可能性をつぶすような方向に進みたくないものだと思うのだ。

長音符無し派の方からの、説得力のあるご意見求む。

追記 (2015/01/20 00:00)

Twitterを眺めていたら、【topic】 カタカナ表記(音引き)というページがあることを知った。益々長音符有りを継続したくなる内容だった。