5年前の今頃、すなわち 2001年の 3月、僕は当時の職場を辞するための準備を進めていた。とある奨学金 (のようなもの) を受けられることになり、その次の月から 1年の予定でアメリカに行くためだった。丁度 5年前の今日か昨日は、アメリカ大使館でビザの発給を受けて一安心した時だったと記憶している。
「テキサス、インターン物語 (1) --- 出発まで ---」の続きを読む »
3月の終わりに渡米した後は、それまでと比べると随分のんびりとした生活になった。元々、僕はこのチャンスを生かして、コンピュータのアクセシビリティに関連する研究をしている組織でのインターンなり研究員になることを目指していた。しかし、
前にも書いたように、その計画は思うようには進まず、とりあえずこの盲学校へ来たのだった。当初、最初の数週間は授業の様子を見学したりしつつ、研究活動ができて僕を受け入れてくれるような組織を探すつもりでいた。
「テキサス・インターン物語 (2) --- 調理実習 ---」の続きを読む »
僕がいた盲学校には、情報処理教育を担当する先生が 3人いた。きわめておおざっぱに言えば、一人は小学生担当、一人は高校生担当、そしてもう一人はそれ以外の生徒の担当である。「それ以外」というのは、中学生と、高校生の中で主に職業訓練を受け手いる生徒たちのことである。僕は、この 3人の先生の教室を、それぞれ 1週間ずつの予定で見学することになった。
「テキサス・インターン物語 (3) --- 小学生の情報処理教育 ---」の続きを読む »
情報処理の授業の見学の 2週目は、中学生および主に職業訓練を受けている高校生を担当する先生の教室だった。また、その次の週は、主にその他の高校生を担当する先生の教室だった。この二つの教室は、いずれも PCが 5台程度設置されていて、複数の生徒を対象とした授業が行えるようになっていた。また、指導内容は、小学生の場合とは異なり、 PCを使うための技術を習得させることがより大きな目的となっているようだった。
「テキサス・インターン物語 (4) --- 中高生の情報処理教育 ---」の続きを読む »
僕が初めてオースティンへ行ったのは、 1988年の 8月のことだった。空港を出
てまず驚いたのは、日差しの強さだった。空気の暑さを感じるのではなく、日光の暑さを感じる、そんな強烈な太陽だ。空全体が、上から押してくるような、そんな圧力のような物すら感じられるほどの強い日差しだ。 ``Texas oven'' という表現があるが、まさにそんな感じ、つまりオーブンの中に入ったような感覚だ。 (もっともオーブンの中に入ったことなんかないけど。)
「テキサス・インターン物語 (5) --- 夏到来 ---」の続きを読む »
夏休みに入ると、あるゆる物小言がゆったりとしたペースで流れ始めたような気がした。当時僕は、学校の敷地の一角にあるゲストハウスのような建物を借りて暮らしていたのだが、夏休みに入って生徒たちはみんな帰省し、先生たちも、その多くが夏休みの間は学校に来ないので、学校の中を歩いても、ほとんど人に会わなくなった。平日に学校へ行かなくて良いというのは、なんだか退屈なものだった。今まで取り組んできたものが急になくなってしまい、目的を失ってしまったような気の抜けたような感覚があった。学校の中の寂しさが、その感覚を増幅しているようでもあった。そんな夏休みに入って数日たったある日、普段一緒に仕事をしている先生から電話があった。
「テキサス・インターン物語 (6) --- サマースクール ---」の続きを読む »
サマースクールが終わってからの数日は、何となく寂しいような物足りないような気持ちで過ごした。知らないうちに、僕は子供たちと過ごす時間を思いの外楽しむようになっていたようだ。行くべき授業もなく、取り立ててやるべきこともない、久々に訪れたそんな贅沢な時間を、どう過ごしていいのか分からずに、数日が過ぎた。しかし、だんだんそんな生活にも慣れてきて、 1週間もするとすっかりその余裕に満ちた生活を楽しむようになっていた。
「テキサス・インターン物語 (7) --- 夏休み ---」の続きを読む »
7月の終わりにサマースクールが終わると、学校はまた静かになった。しかし、たまたま僕はこの一番人が少ない時期に、視覚障害児教育関連の学会と展示会を合わせたようなものに参加するために、ピッツバーグまで出かけていたので、夏休みに入った直後に感じた、あの何とも言えない寂しさを味わうことはなかった。そして、僕がピッツバーグから戻ってきた頃から、学校にはまた徐々に活気が戻り始めた。 8月の中頃に始まる新学期の準備などのために、先生たちが顔を出すようになっていたのだ。
「テキサス・インターン物語 (8) --- 新学期 ---」の続きを読む »
新学期に入り、僕はほぼ 1日中、二つの教室のうちのどちらかの授業を手伝っていた。僕が主に時間を過ごしていたのは、高校生を対象とした授業をする先生の教室だった。中学生に比べて高校生の方が各自で異なった内容の課題に取り組んでいたため、より多様な生徒に対応する必要があったので、僕が役立てる機会も多かったのである。
「テキサス・インターン物語 (9( --- 長い長い火曜日 ---」の続きを読む »
前日の夜、早々に寝てしまったので、 9月 12日の朝は随分早く目が覚めた。習慣的に、いつも聞いていたラジオの朝のニュース番組をつけてみた。深い眠りから覚めて、ひょっとすると昨日起こったことは夢だったのではないか、などとぼんやりとした頭で考えていたのだが、いつもなら軽快な音楽で始まるその番組が静かな音楽で始まり、いつもよりも抑えた調子のキャスターの声が聞こえてきて、僕は現実に引き戻された。そしてまた、前日の惨劇に関するニュースが流れてきた。
「テキサス・インターン物語 (10) --- 惨劇の後 ---」の続きを読む »
オースティンの 9月は、そろそろ暑さも和らぎ、徐々に過ごしやすくなってくる季節だ。でも、 2001年の 9月の空気は、その温度こそ下がりつつあったが、暑い太陽の下で感じるのとはまた別の重苦しさに満ちていた。テロ事件の直後、落ち着きを失っていた子供たちの多くは、少なくとも表面上は普段と変わらない様子に戻った。大人たちも、一応普段通りに仕事をしていた。とは言っても、みんなどことなく疲れているようだった。みんなが疲れていたから空気が重く感じられたのか、それとも空気が重く感じられたからみんなが疲れたのか、そのどちらかはよく分からない。きっと両方なのだろう。テロ事件があったのは火曜のことだったから、その後、普通ならもう三日間授業がある。ところが、この週はたまたま (だと思う) 金曜に、全教員を対象とした研修が予定されていて、この日の授業は一切行われなかった。この研修の話を木曜の午後に聞かされた時、僕は正直なところ随分とほっとしたものだった。
「テキサス・インターン物語(11) --- 教員研修 ---」の続きを読む »
引っ越しの準備はさほど大変ではなかった。日本から持ってきた物は、日本から来た時同様にスーツケースに詰め込めばよかったし、オースティンに来てから増えた荷物も大した量ではなかった。増えた物と言えば、ラジオとか時計とかそういう小物ばかりで、唯一の大物はデスクトップ PCくらいだった。だから、引っ越しの前日、気合いを入れて始めた荷造りも、 30分もしないうちにすっかり終わってしまった。
「テキサス・インターン物語 (12) -- 親の思い --」の続きを読む »
引越はあっけないほど簡単に終わった。引越の荷物はスーツケースが二つ、小さな鞄が一つ、そしてオースティンに来てから買ったラジオとか時計とかオーブントースターとか、そういった小物を投げ込んだ箱が一つだけだった。だから荷物の運搬そのものは友人の車であっという間に終わった。引っ越し先は歩いて10分もかからない所だったから、その気になれば一人で何往復かすればできる程度の運搬だったのだが、9月とはいってもまだ外は暑かったし、途中に比較的車の通りが激しい交差点もあったので、友人に甘えることにした。
「テキサス・インターン物語 (13) -- 引越 --」の続きを読む »