昔話の最近のブログ記事

引越はあっけないほど簡単に終わった。引越の荷物はスーツケースが二つ、小さな鞄が一つ、そしてオースティンに来てから買ったラジオとか時計とかオーブントースターとか、そういった小物を投げ込んだ箱が一つだけだった。だから荷物の運搬そのものは友人の車であっという間に終わった。引っ越し先は歩いて10分もかからない所だったから、その気になれば一人で何往復かすればできる程度の運搬だったのだが、9月とはいってもまだ外は暑かったし、途中に比較的車の通りが激しい交差点もあったので、友人に甘えることにした。

引っ越しの準備はさほど大変ではなかった。日本から持ってきた物は、日本から来た時同様にスーツケースに詰め込めばよかったし、オースティンに来てから増えた荷物も大した量ではなかった。増えた物と言えば、ラジオとか時計とかそういう小物ばかりで、唯一の大物はデスクトップ PCくらいだった。だから、引っ越しの前日、気合いを入れて始めた荷造りも、 30分もしないうちにすっかり終わってしまった。

産経のニュースサイト、イザ! に掲載されている「自民・丸川氏は当落線上?!激戦選挙区を大分析」という記事、「大分析」という割に大した分析でもないなというのが正直な印象だ。ただ、そんなことよりも気になったことが一つある。この記事、いくつかの選挙区について、「大分析」を繰り広げた後、唐突に自民の議員二人のコメントを紹介して記事を結んでいる。

オースティンの 9月は、そろそろ暑さも和らぎ、徐々に過ごしやすくなってくる季節だ。でも、 2001年の 9月の空気は、その温度こそ下がりつつあったが、暑い太陽の下で感じるのとはまた別の重苦しさに満ちていた。テロ事件の直後、落ち着きを失っていた子供たちの多くは、少なくとも表面上は普段と変わらない様子に戻った。大人たちも、一応普段通りに仕事をしていた。とは言っても、みんなどことなく疲れているようだった。みんなが疲れていたから空気が重く感じられたのか、それとも空気が重く感じられたからみんなが疲れたのか、そのどちらかはよく分からない。きっと両方なのだろう。テロ事件があったのは火曜のことだったから、その後、普通ならもう三日間授業がある。ところが、この週はたまたま (だと思う) 金曜に、全教員を対象とした研修が予定されていて、この日の授業は一切行われなかった。この研修の話を木曜の午後に聞かされた時、僕は正直なところ随分とほっとしたものだった。

前日の夜、早々に寝てしまったので、 9月 12日の朝は随分早く目が覚めた。習慣的に、いつも聞いていたラジオの朝のニュース番組をつけてみた。深い眠りから覚めて、ひょっとすると昨日起こったことは夢だったのではないか、などとぼんやりとした頭で考えていたのだが、いつもなら軽快な音楽で始まるその番組が静かな音楽で始まり、いつもよりも抑えた調子のキャスターの声が聞こえてきて、僕は現実に引き戻された。そしてまた、前日の惨劇に関するニュースが流れてきた。

新学期に入り、僕はほぼ 1日中、二つの教室のうちのどちらかの授業を手伝っていた。僕が主に時間を過ごしていたのは、高校生を対象とした授業をする先生の教室だった。中学生に比べて高校生の方が各自で異なった内容の課題に取り組んでいたため、より多様な生徒に対応する必要があったので、僕が役立てる機会も多かったのである。

7月の終わりにサマースクールが終わると、学校はまた静かになった。しかし、たまたま僕はこの一番人が少ない時期に、視覚障害児教育関連の学会と展示会を合わせたようなものに参加するために、ピッツバーグまで出かけていたので、夏休みに入った直後に感じた、あの何とも言えない寂しさを味わうことはなかった。そして、僕がピッツバーグから戻ってきた頃から、学校にはまた徐々に活気が戻り始めた。 8月の中頃に始まる新学期の準備などのために、先生たちが顔を出すようになっていたのだ。

サマースクールが終わってからの数日は、何となく寂しいような物足りないような気持ちで過ごした。知らないうちに、僕は子供たちと過ごす時間を思いの外楽しむようになっていたようだ。行くべき授業もなく、取り立ててやるべきこともない、久々に訪れたそんな贅沢な時間を、どう過ごしていいのか分からずに、数日が過ぎた。しかし、だんだんそんな生活にも慣れてきて、 1週間もするとすっかりその余裕に満ちた生活を楽しむようになっていた。

夏休みに入ると、あるゆる物小言がゆったりとしたペースで流れ始めたような気がした。当時僕は、学校の敷地の一角にあるゲストハウスのような建物を借りて暮らしていたのだが、夏休みに入って生徒たちはみんな帰省し、先生たちも、その多くが夏休みの間は学校に来ないので、学校の中を歩いても、ほとんど人に会わなくなった。平日に学校へ行かなくて良いというのは、なんだか退屈なものだった。今まで取り組んできたものが急になくなってしまい、目的を失ってしまったような気の抜けたような感覚があった。学校の中の寂しさが、その感覚を増幅しているようでもあった。そんな夏休みに入って数日たったある日、普段一緒に仕事をしている先生から電話があった。

僕が初めてオースティンへ行ったのは、 1988年の 8月のことだった。空港を出 てまず驚いたのは、日差しの強さだった。空気の暑さを感じるのではなく、日光の暑さを感じる、そんな強烈な太陽だ。空全体が、上から押してくるような、そんな圧力のような物すら感じられるほどの強い日差しだ。 ``Texas oven'' という表現があるが、まさにそんな感じ、つまりオーブンの中に入ったような感覚だ。 (もっともオーブンの中に入ったことなんかないけど。)

情報処理の授業の見学の 2週目は、中学生および主に職業訓練を受けている高校生を担当する先生の教室だった。また、その次の週は、主にその他の高校生を担当する先生の教室だった。この二つの教室は、いずれも PCが 5台程度設置されていて、複数の生徒を対象とした授業が行えるようになっていた。また、指導内容は、小学生の場合とは異なり、 PCを使うための技術を習得させることがより大きな目的となっているようだった。

僕がいた盲学校には、情報処理教育を担当する先生が 3人いた。きわめておおざっぱに言えば、一人は小学生担当、一人は高校生担当、そしてもう一人はそれ以外の生徒の担当である。「それ以外」というのは、中学生と、高校生の中で主に職業訓練を受け手いる生徒たちのことである。僕は、この 3人の先生の教室を、それぞれ 1週間ずつの予定で見学することになった。

17年前の 1月か 2月のことだ。当時、僕はアメリカの高校に留学していた。アメリカの学校は日本とは異なり、毎日の時間割が同じなのだが、その時の時間割では、 3時間目の授業で ESL (English as Second Language) という、英語を母国語としない人たちのための英語の授業をとっていた。当時の僕は、アメリカの高校生活にもだいぶ慣れ、英語力も ESLをとらなくてもいい程度まで伸びていたのだが、やはり基本を抑えることは重要だと思ったので、その授業を受けていた。

3月の終わりに渡米した後は、それまでと比べると随分のんびりとした生活になった。元々、僕はこのチャンスを生かして、コンピュータのアクセシビリティに関連する研究をしている組織でのインターンなり研究員になることを目指していた。しかし、 前にも書いたように、その計画は思うようには進まず、とりあえずこの盲学校へ来たのだった。当初、最初の数週間は授業の様子を見学したりしつつ、研究活動ができて僕を受け入れてくれるような組織を探すつもりでいた。

[昔話]: パソコン通信

ASCII24に、 「さよならパソコン通信!——NIFTY SERVE終了に伴い、パソコン通信全盛期を知る人々が東京に集結」 という記事を見つけた。 Nifty-SERVEなどのパソコン通信は、考えてもみれば今の僕に少なからぬ影響を与えている。それが消えていくのは、当然の流れと言えばそうなのだが、やはり寂しい。

5年前の今頃、すなわち 2001年の 3月、僕は当時の職場を辞するための準備を進めていた。とある奨学金 (のようなもの) を受けられることになり、その次の月から 1年の予定でアメリカに行くためだった。丁度 5年前の今日か昨日は、アメリカ大使館でビザの発給を受けて一安心した時だったと記憶している。

[昔話]: Western Union

Sankei Webの記事 によると、アメリカの Western Unionが電報のサービスを 1月末で中止したそうだ。メールや携帯電話に押されて、とのことだが、それでも年間 2万件の利用があったというから、ちょっと驚いた。どんな人がどんな風に使っていたのだろうか。いろいろと味のあるストーリーがあったのではないかと、想像だけが勝手にふくらむ。そういえば、僕がアメリカに留学していた高校生の時、日本の学校の卒業式に祝電を打つ、という生意気なことをしたことがあるが、この時使ったのが Western Unionだった。 Western Unionのオペレーターに電話して、ローマ字で住所と電文を伝えるのにえらく苦労したことを懐かしく思い出す。そんなことをあれこれと考えると、昔ながらの物が消えていくことに、少しだけ寂しい気持ちになってしまう。

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