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2008年7月20日 (日)

[昔話]: テキサス・インターン物語 (13) -- 引越 --

引越はあっけないほど簡単に終わった。引越の荷物はスーツケースが二つ、小さな鞄が一つ、そしてオースティンに来てから買ったラジオとか時計とかオーブントースターとか、そういった小物を投げ込んだ箱が一つだけだった。だから荷物の運搬そのものは友人の車であっという間に終わった。引っ越し先は歩いて10分もかからない所だったから、その気になれば一人で何往復かすればできる程度の運搬だったのだが、9月とはいってもまだ外は暑かったし、途中に比較的車の通りが激しい交差点もあったので、友人に甘えることにした。

これらの荷物に加えて、渡米後に買ったデスクトップPCがあった。この PCは、家庭内サーバとして使っていたもので、ネットワークにつながっていないとほとんど役に立たないものだったので、新居にネットワークが来るまでの間、僕が普段いた教室の片隅に置かせてもらって、学校のネットワークにつながせてもらうことにした。だから、引越の時はこの PCの箱だけを持って行った。

ともあれ、荷物の運搬はさっさと終わった。荷物を車から降ろしてアパートのドアを開けてみると、管理会社の人が手配してくれたらしい家具が入っていた。簡単なものだけ貸してもらえればいいと思っていたのだが、そこにはダイニング・テーブルと椅子、3人掛けのソファ、ソファの横に置くような小さなテーブルが 2脚、ソファの前に置くような長いテーブル、そしてご丁寧にホテルの部屋なんかにありそうな比較的大きなランプのような感じの照明器具まで置いてあった。これに加えて冷蔵庫とディッシュウォッシャーは元々備え付けられていたし、言うまでもなくエアコンは備え付けだし、洗濯機と乾燥機はアパートの住人が使えるコインランドリーがあったので、家電製品も本当に必要なものは最初からそろっていると言っていい状態だった。

とは言うもののやはり足らないものはいくつかあった。まずはベッドだった。これは、この時の手伝いもしてくれた、僕が何かと世話になっている友人が余らせていたマットレスとシーツを貸してくれて解決した。他にも、食器は全くなかったし、電子レンジがないのも不便だった。また、テレビがないというのも少々寂しいものだった。そんな訳で、その週の土曜日に、その友人に手伝ってもらって量販店に買い出しへ行ってきた。買ったのは、食器が数点、店で一番安かったテレビと電子レンジ (どちらも 50ドルくらい) 、バスルームで使うシャワー・カーテンなど、全部合わせても 150ドル以内に納まるようなものだった。買ったものを部屋に運び込んで、それっぽい場所に置くと、生活環境はほぼ完璧に整ったと言っていい状況になった。

唯一欠けていたのはインターネット接続環境だった。電話や電気は、入居する前日に担当の会社に電話しておくだけで開通するほど簡単だったが、インターネット接続についてはそれほど簡単ではなかった。当時のオースティンで考えられる接続方法は、アナログのモデムを使う方法、 ADSLを使う方法、そしてケーブル・テレビが提供している接続サービスを使う方法の三つだった。当時はまだアナログ・モデムのユーザも多い時代だったが、僕はそんな遅い環境には戻れないと思っていたし、実際問題として家庭内サーバがある場合、モデムを使ってしまうと常時電話線がモデムにとられてしまって電話が使えないので、この選択肢は最初から全く考えていなかった。では ADSLかケーブル・テレビということになるのだが、いろいろと調べるとどうも ADSLの評判が芳しくなかったこともあって、結局ケーブル・テレビのサービスを使うことにした。

アメリカの場合、何も言わなくてもだいたいのアパートに最初からケーブル・テレビが来ている。だから、自分の所でインターネット接続サービスが使えるかどうか、というような心肺はしなくてよい。ケーブル・テレビの会社に電話をかけて申し込めば、やがてエンジニアがやってきてどうにかしてくれるのが普通だと思う。ただ、電気や電話と違って、電話をかけてから実際に開通するまでには少々時間がかかった。正確には覚えていないが、たぶん1週間程度は待たされたような気がする。

我が家のネットワークが開通するのに合わせて、僕は学校に置きっぱなしになっていたサーバ用 PCを持ち帰ってきていた。ネットワークが開通してからその PCを設定して、ようやく僕の生活のリズムが引越前のものに戻ったような感じがしていた。そして、丁度その頃 (正確にはその少し前) 、修理のために日本に送り返してあった PCも戻ってきた。止まっていた航空便もまた、以前同様に運行するようになっていたのだ。テレビやラジオをつけると相変わらず重苦しい雰囲気を感じさせられるばかりだったが、こうして僕も、そして社会全体も、一歩ずつ前進して徐々に普段の生活を取り戻そうとしていた、少しずつ奈津の終わりを感じられるようになってきた9月の終わりだった。

(続く)

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